何故整体師になったのか
20歳の頃だったと思います。それまで大した病気もなく健康に過ごしてきた私でしたが、
突然偏頭痛が起こり始めたのです。
最初は「勉強のし過ぎ(?)からくる一時的なものだろう」と思っていたのですが、
一向に治る気配はなくほぼ毎日悩まされ、学業に支障をきたすことも度々でした。
この痛みは後述する、整体の先生に出会う8年間続きました。
当時は偏頭痛の認知度も低く頭痛外来などもなかったので、さすがに「これはおかしい、
原因不明の病気なのでは?」と悩みましたが、病院で検査を受け、原因不明の病気を宣告
されるのも怖く、 一人で抱え込んでしまいました。多くの哲学や心理学、病気体験の本に
救いを求めました。
今ではこれらの知識は大変役立っています。偏頭痛との闘いの始まりでした。
ある整体師の先生との出会い~「偏頭痛」からの解放
社会人になりしばらくして、大学の先輩に現在の整体仲間である先生を紹介されました。
病院には行かないまでも、少しでも良くなればとマッサージや整形に通っていましたが、
良くなる兆しが全く無かったので、このときも大して期待していませんでした。
しかしこの先生は、私の身体をじっくりと診たのち、偏頭痛の原因が「頸椎」にある可能性を
見つけ出し、詳細に説明してくださったのです。 実は私は幼い頃自宅前で交通事故に遭い、
頭から地面に叩きつけられ頸椎を痛めました。その時の後遺症が偏頭痛として10数年
経ってから現れていたのです!
原因が分かっただけで気持ちは楽になり、この先生の元へ何回か通っているうちに本当に
偏頭痛は消えました。
わたしはこの時
「この技術は他とは違う。これまで誰も改善出来ない程のひどい状態を楽にしてくれた。
本物の技術だ」と確信しました。当時の私は家業を手伝っていましたが、この先生の師匠の
もとで、整体の勉強を始めました。自分の健康管理もできればと思ったからです。
「私だから改善できる整体師」を目指して
何年も勉強しているうちに、「整体師になりたい!」と強く思うようになってきました。
その先生が運営する学校に入学し、1日10時間の勉強会を月2回、2年間通いました。
そして資格を得ました。もちろん、今でも勉強の毎日です
勉強は難しく師匠は厳しいけれど、人の為になること、そして何より自分が苦しんだ経験が
あり整体によってその苦しみから解放されたからこそ、同じように苦しんでいる人を救い
たかったのです。
しかしそこからが大変でした。何せ家業を手伝っており、小さい会社ながらも取締役になる
予定でしたので簡単にはやめられませでした。が、半ば強引に、勘当寸前までいきながらも退
職しました。
そうまでしてでも整体師になりたかったのです!
その後、実際の医学の現場を見て勉強したいと考え、循環器系の医療機器メーカーに転職しま
した。
心筋梗塞や狭心症になった際に心臓に入れる器具の会社です。
医学の知識をみっちり叩き込まれ、営業中はドクターの真横で白衣を着て実際の医療現場を
見てきました。
遠回りかなと思いましたが、整体師への道を歩む決意の表れでした。
「整体」というと東洋医学のイメージがあると思いますが、
西洋医学に基づいた知識がなければ体を理解することが出来ません。
この会社で西洋医学の経験を得たことで私は、西洋医学の知識が無いと出来ない、
独自の整体技術を創り上げました。
それから満を持して、整体師として開業しました。
「予防整体施術院」の院名への思い
私は今でも思います。一番辛かった大学時代にこの整体を知っていれば良かったなと。
でも、その辛い時期があったからこそ、痛みに苦しむ人の気持ちが分かります。
そして、
原因が分からない痛みほど不安なことはないと。でも、知ってしまえば逆に安心するものだ
ということも分かっています。
それは、私自身が苦しんだからです。
ですから一人ひとりの状態に適した施術方法で、早く痛みから解放し心も体も
楽にしてあげたいと思いながら施術しています。
そして、痛みを取り除くだけではなく、日常生活で生じる身体のコリや歪みを早期に
発見・施術し、ひどい状態になるのを予防する防波堤になりたいと思い、
「予防整体施術院」と名付けました。
私は町田で一番の整体師になると常々公言しています。その為に研究を欠かさず、
トップレベルのクオリティーで治療に取り組んでおります。激しい痛みや慢性のコリの
対応はもちろん、「ひどい状態を防げる体作り」のために、気軽に通える整体院作りを
目指していきます。
施術内容等についてご意見・ご質問等ございましたら、お気軽にお申し出ください。
院長プロフィール
院長の田中淳平は1973年に東京都町田市で生まれました。八王子市内の高校を卒業し、
大学は中央大学商学部会計学科を卒業しました。
大学時代は本ばかり読んでいました。授業は興味の赴くまま、他学部に潜り込んで聴いていました。
長期の休みに入る度に海外に行き、好き勝手なことばかり自分の好きな勉強ばかりしていた、
どこにでもいるような学生でした。
海外には強い憧れを持っていたので、簿記よりも英語の勉強を積極的にしていました。
夏休みや冬休みにアメリカを横断・縦断をしていましたが、韓国という国の経済や文化に強い関心があったので卒業論文を書くために韓国にも行くことが多かったです。
就職は外国志向が強かったので、多くの友人が会計士/税理士/経理系に職を得る中、
私はダイヤモンドの輸入・販売の専門商社に就職しました。入社後しばらくして、ベルギーや
イスラエルでバイヤー業務を行っていました。
その後は何社かの転職を経験しました。整体師にいつかなると決めてから、某外資系医療機器メーカーに
転職しました。心筋梗塞や狭窄症の際に使用される、バルーンやステントを扱う循環器系の会社です。
白衣を着てドクターの横に立って、実際の医療の現場を見てきました。
これまで色々な仕事をし、色々な人に出会ってきました。その度に悩み勉強をし、今に至る糧にしてきました。
こういった経験を土台にし、これからも技術の発展・人間性の向上を目指していきます。
美容部門
これまでの知識と経験を活かし、フェイシャル美容も行っております。
男顔(だんがん)ラボと言い男性専用のフェイシャルマッサージですが、女性の方からも
大変好評です。
違う自分に出会ってみませんか?
趣味
学生時代からビリヤードをやっています。
星の観察もたまにしています。望遠鏡にデジカメを付けての撮影もしています。